「良妻賢母」 という規範の成立の流れ
「良妻賢母」 という規範の成立の流れ
前近代の女子教育を一般化すると、日本・中国・朝鮮のいずれでも、儒教を基調としたもの
中国の儒教のなかで現れた女性像
女性に対する行為規範として機能し得るもの → 礼の思想
祖先崇拝と長幼の序を基盤にして家族集団の安定化を図ろうとした儒教
礼は行為細則として重要な意味
女性に対する規範として中核的な意味をもつのは三従之義
近代以前の東アジアにおいて儒教が要求した女性像は、男性に対して盲従すべき愚かな存在
多くの場合、子どもの教育の担当者とはみなされなかった
「良妻賢母」 は、上記のような 「女性は愚かな存在」 という女性像に対し、子どもの教育の担当者として教育を受け国家的な視野をもつ母親が必要だという考え方をおおきなメルクマールとする、ということ
儒教の伝統的女性像と良妻賢母の間には、はっきりした断層あるいは読み替えがある
1900 年代はじめごろ、欧米ともつながる近代的女子教育として賢母良妻が用いられた
近代国家建設に際しての良妻賢母の必要性
中国の伝統ではなく、日本からの輸入
1917 年には、女性の人格的発達を妨げるとして否定的な意見も
従来の儒教における女性像に結び付けられた
良妻賢母とは、儒教の徳目を重視しながらも、「従属的で無知な」 女性像を、「家庭を預かる妻、教育をする母」 として部分的に読み替えたもの
国家統合の中に積極的に女性を含めようとする
「良妻賢母主義 = 儒教」 という誤解
良妻賢母主義は、高等女学校教育の対象者を主な対象とする
上流でもなく、一般庶民層に比べれば少し階層の高い健全なる中等社会の育成が目的
主婦をつくり出す規範が、学校教育を通じて伝達されていった
良妻賢母主義を中核として、日本型の近代的家父長制が形成された
参考文献
東アジアの家父長制 ― ジェンダーの比較社会学